ベルどうぶつクリニックのブログ

東京都町田市にあるどうぶつ病院ベルどうぶつクリニックです

映画「華麗なるギャッツビー」

ロバート・レッドフォードの「華麗なるギャッツビー」のリメイク映画です。
豪華な衣装と、NYの華麗な映像をみたくて、
みにいってしまいました。
日本語字幕は、3Dがなくて、2Dでみましたが、
映像はとてもすばらしかったです


ストーリーは、
オリジナルでみているので、
まあ、わかっているのですが、、

うーん、

オリジナルでも同様ですが、共感できないのは、仕方がないですね。(おばさんのヒガミかも??)

先日の読売新聞で映画評論がのっていました。
「空虚な時代」をよく描いている秀作とのことでした。
オリジナルのロバートレッドフォードのような哀愁は伝わってこない。
(さすが、プロの評論は、視点が違って、うまい!)
たしかに、

空虚な時代にいきる、空虚な人たちっていうことでみれば、その空虚さは、すごく伝わってきます。
だから、共感できないのは、当然か、、、



ストーリーを知らないで、この映画を見たい人は
以下、読まないでください。

なお、犬猫とまったく関係のない話です、、、




上流階級の美女に恋焦がれて犠牲になる、下層階級出身の成金の末路っていったら、身もふたもないですが。

恋の対象の女性(デイジー)が、ただ美しいだけで、毎日着飾って遊んでいるだけ、、うすっぺらいのにもかかわらず、彼女のために、苦労して、最下層の貧民から、のしあがったギャッツビーが犠牲になる、
上流階級の女性のきらびやかな見た目よりも、彼女の中身と性根をみたらどうなんだ(人をひき殺しても平気で立ち去り、罪を他人になすりつけ、葬儀にも顔をみせない)って、私てきには思ってしまう。
でも、やっぱり、人は見た目9割ってことですかね
アメリカのどっかのCEOいわく、「美女はレンタルすればいいから」という名言?がありますが)

この映画は、理不尽さに憤りを感じ、、
後味が悪い、(だから、原題が、ザ・グレート・ギャッビーなんでしょうね)
(以上、おばさんの愚痴でした、、、)


まあ、この手の悲劇というか、ラブストーリーは映画で、よくみかけますよね。

エリザベステーラーの「陽の当たる場所」とか
「さらば、愛しき人よ」(ロバート・ミッチャムシャーロット・ランプリング)(ちょっと、違うかな。古すぎますよね)

アーサー王物語のグイネヴィア王妃と円卓の騎士ランスロットみたいに、
男性は、手の届かない存在の女性にあこがれる(高嶺の花)のが、ロマンのようですね。
ファムファタールに魅了される、、
うん、わかります。
ミステリアスな女性にあこがれるっていうのはわかります。
ギャッツビーの永遠の恋人デイジーは、
女性としての魅力に欠けるんですよね。
ただの軽薄な金持ちマダム(オリジナルでは、もっと辛辣に描いています。ミア・ファローですから)、、
出会ってすぐに素性もわからない兵士とベッドインして
兵士から連絡が途絶えると、さっさと玉の輿にのり、
贅沢三昧の生活を送る。
昔の恋人に会ったら、すぐに不倫に走る、
あたまのネジが緩んでいるのか、、
自由奔放ってことも、魅力のひとつなのかもしれませんが、


それとも、わたしが考えが古くて硬いのか


恋愛映画で思うのは
まあ、よくいわれることは

男性は女性を追っかけて、おとすプロセスを楽しむ(とくに、狩猟民族の欧米人はハンテイングという趣向があるから、その傾向があるのかも??)、
だから、女性は、男性を追うとよけい、逃げられる。恋愛では、
追うよりも追われる存在になったほうが、いい、

だから、皆様ご存じの「アンナ・カレーニア」で、最初、若い恋人が夢中になって人妻を追いかけ、ついに、彼女は夫と子供を捨てて若い恋人に走る、そして、恋人から飽きられてしまう、人妻の、みじめな末路


映画のギャッツビーでも
デイジーは、
ギャッツビーにとって高嶺の花,マドンナ
追っても追っても手に入らない
一緒に逃げようといっても、ついてこない
電話もくれない、

だから、ますます、のめりこんでしまう、

ということでしょうか。

今更、わたしが、恋愛の奥義を知っても役に立ちませんが、
映画っていろいろ、人生の妙義を教えてくれますね。


久々の梅雨の晴れ間